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<サンフランシスコ・ケーブルカー>

SFケーブルカー

(2-3) サンフランシスコ旅行記-2    (旅行記)


すっかり爆睡して、起きたのは朝9時。
あわてて、
朝食は何時までか確認した。朝11時までやっているとのこと。考えてみれば、今日は日曜日。サンデーブランチを楽しめばいい。ゆっくり休んで、朝風呂に入り、さっぱりしてからアンズレストランへ行った。日本食もありおいしかったです。
    杏レストラン
食べ終わったのは、11時を過ぎていた。よって今日は昼飯抜き。実は、今日の夜は、アメリカの研究所長(元私が働いていた研究所)のDr.Hにディナーを招待されている。奥さんのMrs.Dの手料理は大変おいしいので、今のうちからお腹を減らしておく必要がある。

食後の腹ごなしに、サンフランシスコ散策に出かけた。サンフランシスコは、なんといっても、ケーブルカーである。ケーブルカーの始発駅であるマーケットストーリー駅は大変込んでいて、乗るのに平均30分かかる。そこで、ハイテクニークを使う。次の駅のユニオンスクエアーから、乗るのである。Westin Hotelの前から乗ればいい。この戦略は当たって、簡単に乗れた。
下の写真ところから乗ると空いている。
  SFケーブルカー
ケーブルカーでフィッシャーマンズワーフへ行き、散歩した。ここには世界中から人が集まってくる。いろんな顔が集まっている。いろんな色・いろんな人種が集まってきている。各人各々の人生を抱えて、ここに来たに違いない。その人たちの顔や服装を観ているだけで、本当に楽しい。おんなじ人間なのにこうも違うものか!

日本では、
同じ黒髪の人たちばっかりがいても、何の違和感も感じない。逆にアメリカ人が日本へ来た時みんな同じ色の髪の毛をしているので違和感を感じるという。が、日本いてはカルチャーギャップ、この楽しみは味わえない。気がつかないだろう。これも海外旅行の楽しみの一つである。
  SF
フィッシャーマンズワーフはいつも、いろいろな芸人がパフォーマンスをしているのだが、今日は冬なので、やっていないようだ。

帰りは、歩いて帰ることにした。まず、景色のよいランバートストリートの頂上へ歩いて上った。いや、頂上まで登ろうとした。でも途中でも十分景色が楽しめることが分かった。

坂を登って、
途中で振り返ると、サンフランシスコ湾に、アルカポネが収容されていたアルカトラス監獄島がみえる。その先にはエンジェルアイランド、サウサリートが見える。その左にはあまりにも有名な、ゴールデンゲート(金門橋)が美しくそびえたっている。これがサンフランシスコだという景色が楽しめる場所である。楽しい散歩である。
  SFケーブルカー
左の通りには、美しい邸宅が並んでいる。丁寧に手入れされた庭木や斬新なデザインの家が両側に並んでいて、その間のとおりの先には有名なコイトタワーが見える。気が変わって、こちらの道へ行くことにした。

誰もいなく、静かな道が続く。そのまま行くと桃の花が咲いている通りがあり、さらに進むとランバート通りの下に出た。ここで有名なアジサイの花には時期が早く、まだ茎だけであった。ここから坂を下り、チャイナタウンのほうへ向かった。

そろそろ疲れそうだったので、コーヒーブレークをとることにした。旅の鉄則は「疲れる前に休む」である。イタリア人街とチャイナタウンの間のお店でカフェラテを頼んだ。経営者は中国人夫婦で経営しているようである。丁寧な応対で,感じがいいい。味も良かった。

いつも思うのだが、アメリカのいくつかの都市では、チャイナタウンとイタリア人街はいつも隣合わせになっている。サンフランシスコもそうだし、ニューヨークもそうである。たぶん同じ時期にアメリカ移民してきたせいだろう。

アメリカの一つの事実として(安く使える)
移民でなりたっている国と言っていいだろう。通常最初の移民の世代は大変苦労する。安くつかわれるのである。英語も満足にしゃべれないしいい仕事へはつけない。ただその苦労をした分、子どもへの期待をかけ、教育へ投資する。その結果、子供世代から成功したファミリーはアメリカンドリームの生活をエンジョイできる。その反面、親の世代は、一種の犠牲の世代といってもよい。

特に教育熱心なのは、中国人・
ユダヤ人である。ベトナム人も教育熱心である。ベトナム人の場合、サイゴン陥落でアメリカへ来た人が多く、割合として教育レベルの高い人・政府の要職に就いていた知的レベルの高い人がアメリカへ来ているせいもある。また、非常にまじめな人が多い。これも成功する要因の一つである。不思議なのは黒人の場合である。どちらかというとあまり教育にお金をかけない。かける余裕もないのかもしれない。一生ハーレム暮らしという人も多い。もちろん成功する人もいる。
  SFチャイナタウン
      <チャイナタウンの旧正月↑>
そんなことを考えながら、チャイナタウンを歩いていた。
今日は中国人の新年のお祝いの日である。チャイナタウンのお店は中国人でごった返していた。歩きづらい。でも、この活気が好きだ。値段は本当に安い。水ボトル3リットルが1ドル少しで買える。

チャイナタウンを抜けるとブランド店街になる。まずおなじみのバナナリパブリックへ入った。ここは若者向きの店なので買えるものは少ないが、結構掘り出し物もある、家内は大好きである。結局いいものはなかったので、すぐ出た。アンテーラを探したのだが、閉店したのか、見つからなかった。あちこちの店を冷やかしながらたのしんだ。

そのまま、ホテルまで歩いて行き、ひと風呂浴びて休んだ。昼寝1時間です。

4:15発のCALTrainに乗るので、ホテルを3時30分に出た。ユニオンスクエアのバス停で30番のバスを待った。このバス(30番)でCalTrain Stationへ向かった。
  CalTrain
ぎりぎりに間に合った。早速切符を買って、サンノゼ行きの列車の2階席(↑)に乗った。座席は昔よりきれいになっている。2階席のほうが景色がいいからである。今回はSan FranciscoからMenlo Park駅まで約1時間の旅を楽しむ。$8.00。

駅に着いたら、Peterが迎えに来てくれていた。5年ぶり。久しぶりである。上品できれいな街並みのMenlo Park市は懐かしかった。家に到着、Dianeの熱烈歓迎を受けた。家内が日本から用意してきた、100年前に日本の蚕からとった絹の西陣織のアンチークな非常に美しい帯をPeterの退職記念に贈った。手触りも非常によい。PeterもDianeも非常に喜んで、どこに飾ろうか心配し始めた。すごくうれしい気持ち。

美味しいHartというワインからスタートして、食事会話を十分楽しんだ。あっという間の4時間であった。帰りは、ベンツでホテルまでわざわざ送ってきてくれた。大変ありがたい。かれらは、3日前カンボジア旅行から帰ったばかりでまだ時差ボケがあるのに、一日がかりで我々の準備をしてくれた。大変ありがたい。

ホテルへ帰ったからは、すぐ爆睡。


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